指導チームへの体罰が発覚し、今春の春の選抜での指揮が絶望的になった若林弘泰監督(東海大管生)。
今回は若林弘泰監督の経歴について調査してみました!
若林弘泰監督の経歴は?
名前 | 若林 弘泰 (わかばやし ひろやす) |
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生年月日 | 1966年4月22日 |
出身地 | 神奈川県茅ヶ崎市 |
身長・体重 | 185cm・80kg |
職業 | 野球部監督、高校教諭(社会科) |
選手歴 |
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監督歴 |
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若林弘泰監督が野球を始めたのは、小学3年生の頃。
投手や捕手として活躍し、区大会で準優勝の成績を納めた事もあったそうです。
小さい頃から頭角を表していたのですね。
憧れていたのは原辰吉選手で、その影響を受けて東海大相模高に進学、大学は東海大に進学したそうです。
大学では、あまり結果を残せず、その後は日立製作所に入社。
1991年、ドラフト4位で指名され、中日ドラゴンズに入団しました。
若林弘泰監督の経歴は?(入団後〜指導者になるまで)
中日入団後は、怪我に悩まされ、最初の3年は棒にする形に…。
1997年現役を引退し、5年間佐川急便などに勤務されたそうです。
その間、地元の先輩の影響で、指導者に興味を持ち、37歳にして教員免許を取得。
2007年に自身の母校の系列校でもある東海大学菅生高校に社会科教諭として着任、2009年4月に同校の野球部監督に就任しました。
経歴だけ見れば、監督になるまでトントン拍子に進んだのかと思われがちですが、こんなインタビュー記事を見つけました。
「そのときはまだ名古屋に住んでいたから、知り合いのつてを頼って名城大学の教職課程を受講できた。仕事は星野さんの事務所で働かせてもらったり、別の知り合いのところで事務をさせてもらったりしましたね。大変だったけど、楽しかった。家族には少し貧乏させてしまったこともありましたが、嫁さんと子供2人が食べる分は稼がせてもらえた」
教員免許取得後は東海大菅生に社会科教諭として着任。2009年に野球部の監督に就任した。まさに苦労人を絵に描いたような経歴をたどってきたように見える。
ーhttps://www.zakzak.co.jp/spo/news/170818/spo1708180004-n1.html
「オレがやりたいのは運送の仕事じゃないよな、野球に携わりたいなっ、て気持ちがムクムクでてきた」と一念発起し退職された、と書いてあった通り、野球への熱い思いが、現在の若林弘泰監督の原点になっているのですね。
これまで、春夏計4度の甲子園出場に導き、17年夏には4強入り。
巨人・高橋優貴らを育成したほど、指導にも定評があります。
指導者を目指し、社会人になってからの教員免許取得された努力は、素晴らしいですね。
まとめ
自身の選手としての経歴は、振るわない時もありましたが、監督としての熱い指導、実績には、名伯楽と一目置かれていただけに、体罰の件はとても残念です。
大好きな野球に対する熱い思いから、今回の体罰につながったのかもしれませんが、若林弘泰監督の心境はどのようなものなのでしょうか…
今春の選抜の指導は絶望的ですが、その後若林弘泰監督がどのような形で野球と関わるのか、引退するのか、その進退にも注目が集まります。